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伊豆國 修善寺城 (静岡県伊豆市)

(読み):しゅぜんじじょう

修善寺城主郭

修善寺城は、畠山国清によって築かれました。畠山国清は、関東公方の足利基氏の執事として重要な地位を占めていましたが、突如、康安元年=正平16年(1361)に足利基氏に叛旗を翻し、元の知行地であった伊豆に引き上げ、この修善寺城に籠城しました。
しかし伊豆の国人衆の協力を得られなかった国清は、しだいに孤立し、足利基氏は3万の軍勢で修善寺城を取り囲み兵糧攻めにしました。
修善寺城は糧食が尽き苦戦の最中、足利基氏から降伏の勧告があり、康安2年=正平17年(1362)9月に畠山国清は、士卒の身を案じて遂に基氏の軍門に下り、修善寺城は開城しました。
廃城となったのち、天正18年(1590)には、豊臣秀吉の小田原征伐の際、織田信雄がこの修善寺城を修築し、韮山城攻めの陣所としています。

お城への行きかた

伊豆箱根鉄道 駿豆線 修善寺駅下車。駅前バス停より、東海バス 昭和の森、持越温泉、柿木方面ゆきのバスに乗車して、修善寺東小学校バス停下車。徒歩約10分で、登城口の城山神社。主郭へはさらに徒歩約25分。


お城の状況、感想など

狩野川沿いに見る修善寺城(城山)

修善寺城登城口の城山神社は、修善寺城の南側になり、修善寺駅からはかなり離れていますので、バスを利用することにしました。
修善寺駅バス停の5番のりばから、昭和の森、持越温泉、柿木方面循環バスの以上の3系統が城山神社最寄の修善寺東小学校バス停を経由します。
修善寺駅を発車したバスは、すぐに狩野川を渡りますが、この正面にある山が、修善寺城のある城山です。
城山神社への道

登城口の城山神社   登城道

修善寺東小学校バス停で下車しました。城山神社への参道は小学校の裏手になりますので、小学校の周囲をぐるりと回り込むと城山神社への参道につきます。(上の地図をご参照ください。)
参道を歩くこと約5分で城山神社に着きました。いかにも山城跡があることが分かる神社名です。ここから修善寺城に登城することができます。

南曲輪跡にある社   修善寺ロープウェイの山頂駅跡

「畠山国清古戦場登口」と書かれた案内板があるのが登城道です。この道は修善寺城の大手道になるようで、登って行きますと、小さい社のある南曲輪跡に着きました。この社の背後には土塁も見られます。
またこの南曲輪跡には、コンクリート製の建物があります。この建物は、地元旅館組合が中心となって、昭和39年(1964)に開業した修善寺ロープウェイの山頂駅跡です。しかし修善寺の温泉街から離れており、また城山自体それほどの観光名所ではないため、昭和52年(1977)に廃止となっています。現在、山頂駅跡は休憩所として利用されており、内部には修善寺城の説明板なども設置されています。

修善寺城主郭の井戸   城山城址碑

修善寺城主郭には、アンテナ送信所が建てられており、これによりかなり改変されているものと思われます。またロープウェイがあった当初にも公園化されていますので、石垣、石積も見られますが、築城当時のものかは不明です。(なんとなく公園化にあたって積まれたもののような気がします。)
修善寺城の遺構としては、井戸跡がありますが、それ以外は残念ながら、これといった遺構は見あたりません。
これで下城しますが、この後、城山神社から西の国道136号線(下田街道)には、天城峠を越えて、早咲きの河津桜で有名な、伊豆急河津駅へのバスがあります。このバスにて河津に行き、河津城へ登城したいと思います。

主郭の石積   主郭の石積

登城日:2012.03.16(金)

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