相模國トップページ

相模國 小田原城 (神奈川県小田原市)

財団法人 日本城郭協会選定 「日本100名城 bQ3」

(読み):おだわらじょう

小田原城天守閣

室町時代中期の小田原には大森氏の居館がありましたが、明応4年(1495)伊豆の北条早雲が、相模国小田原に侵出。大森藤頼から城を奪ったのちに大幅に拡張し、小田原城は、戦国大名北条氏の5代にわたる居城となりました。
永禄4年(1561)には上杉謙信、永禄12年(1569)には武田信玄が小田原城を包囲しますが、両者とも小田原城を落とせず帰国しています。
上杉謙信、武田信玄をも撃退したと言う油断からか、豊臣秀吉の「惣無事令」に違反。その後も秀吉に従うそぶりを見せなかったため、天正18年(1590)に秀吉は、小田原北条氏に対して討伐の軍を挙げます。(小田原の役)小田原城内では、徹底抗戦派と和議派に分かれて軍議が紛糾。その間に頼みとする、伊豆山中城や、武蔵八王子城が豊臣軍によって落城し、結局3か月の籠城の後に北条氏政・氏直父子は降伏し、北条氏政と、弟の北条氏照は切腹。当主の氏直は紀伊の高野山に追放されました。
 江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、その家臣大久保氏を城主とし、箱根を控えた関東地方防御の要衝として、また幕藩体制を支える譜代大名の居城として、幕末まで重要な役割を担ってきました。

お城への行きかた

JR東日本旅客鉄道 東海道本線、JR東海旅客鉄道 東海道新幹線ならび、小田急電鉄小田原線などの各線 小田原駅下車、徒歩約10分。


お城の状況、感想など

小峯曲輪空堀

小田原駅の東口より「お城通り」を南に行くとすぐに小田原城址公園になります。ここから天守閣のある本丸はすぐなのですのが、天守閣の登城は一番最後にして、小峯曲輪から二の丸周辺部を散策することにします。
報徳二宮神社のある付近は、木が鬱蒼と茂っており、独特の雰囲気があります。この付近が小峯曲輪で、北条氏時代に造成された曲輪です。曲輪北側には、堀がありますが、石垣を用いない土塁と空堀からなっている古い形式です。

水堀と馬出し門、隅櫓

報徳二宮神社からいったん外に出て、二の丸の堀まで来ました。ここから改めて本丸天守閣まで登城したいと思います。
残念ながら小田原城の櫓や門、天守閣はすべて再建されたものです。登城した平成21年3月現在も馬出し門の再建工事がされていました。工事中の馬出し門から入ると馬屋曲輪になります。

銅門

馬屋曲輪から二の丸に入ります。入口は枡形になっており、正面には堂々とした銅門が立ちふさがっています。この銅門を突破すると二の丸ですが、ここには二の丸御殿があったようです。現在は二の丸広場となっており、小田原城歴史見聞館があります。
この歴史見聞館ですが、小田原城の始まりから、現在に至るまでの歴史を、模型や映像で分かりやすく展示してあり、中でも日本三大奇襲戦の一つと呼ばれている、北条氏康の「河越の夜戦」カラクリ人形芝居は必見です。天守閣との入館セット券もありますので、ぜひ入館されるとよいでしょう。

常盤木門

二の丸から本丸に向かいますと、空堀があり常盤木橋が架かっています。なぜか空堀には花が植えられています。景観としては○ですが、遺構の保存としては×ですね。
常盤木橋を渡ると、本丸への関門である常盤木門があります。この枡形門を突破するのは容易ではないでしょう。
本丸にに進入すると、なぜか象が居ます。象が門番をしている訳ではないですが、本丸には動物園があります。私が訪れた平成20年(2009)3月には、インド象の「ウメ子」が元気な姿で居ましたが、このウメ子、平成21年(2010)9月に急死したそうです。今はお猿さんだけの寂しい動物園となってます。

インド象のウメ子

さて天守閣に登城しましょう。北条氏時代の本丸はここではなかったようですが(現在の小田原高校のある八幡山のようです。)天守閣の最上階からの眺めはいいです。豊臣秀吉が小田原城を攻めるために築城した石垣山城や相模湾がきれいに見えます。
今回は時間の都合で小田原城址公園内しか見学できませんでしたが、総延長9kmと言われる総構えであった小田原城は外郭にも見どころが沢山あります。今度来ることがあれば、その外郭を中心に見て歩きたいと思います。

小田原城天守閣から見た相模湾

日本100名城スタンプ情報

小田原城スタンプ


小田原城天守閣の入城券売場に設置してあります。
天守閣内にて保管されていますので、開館時間内でないと押印できません。 小田原城天守閣の開館時間、定休日などはサイトをご覧ください。

登城日:2009.03.05(木)

inserted by FC2 system