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伊豆國 山中城 (静岡県三島市)

財団法人 日本城郭協会選定 「日本100名城 bS0」

(読み):やまなかじょう

山中城阯碑

山中城は、永禄年間(1558〜1570)に北条氏康により築城されたと言われています。北条氏の本拠地である、相模小田原城の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込んでいます。
北条氏直の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、天正15年(1587)より、大掛りな普請が行われます。天正18年の(1590)の小田原の役では、豊臣秀次率いる3万5千(一説には7万とも。)もの軍勢が山中城を攻撃、山中城の城将・松田康長ら約4千人は奮戦し、豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出すものの、わずか半日で落城し、松田康長は討死。戦後、山中城は廃城となりました。

お城への行きかた

JR東海旅客鉄道 東海道本線、東海道新幹線 三島駅下車。駅前より、東海バス 元箱根ゆきバスに乗車。山中城跡バス停下車。主郭まで徒歩約15分。


お城の状況、感想など

本丸西堀と橋

三島駅の南口より、東海バスの元箱根ゆきバスに乗車します。なお山中城登城だけの目的で三島駅に戻ってくる場合は、バス停そばの東海バス「三島駅前案内所」で、山中城跡バス停までの往復乗車券を購入しますと、往復割引で120円安くなります。(2009年現在。運賃改定などにより料金が変更になっていることがあります。)
国道1号線をバスは進みますが、さすがは「♪箱根の山は天下の嶮(けん)」と唄われているように、国道はうねり蛇行しています。普段、鉄道で箱根付近を通る際は、丹那トンネルで一気に通過してしまいますが、想像以上の箱根の嶮しさに、ここが小田原城の最西の防御地点であることががよく分かりました。

本丸

山中城跡バス停で下車すると、道路向かい側に売店(そば、団子も販売)があります。ここに「100名城スタンプ」がありますが、営業時間が短いため注意が必要です。
さっそく登城しますが、ものすごく整備状況がよく、防御が重視されたお城にも関わらず散歩気分で登城できます。登城口から、三の丸堀〜箱井戸を経て二の丸(北条丸)に着きます。二の丸と本丸の間には、本丸西堀があり木橋が架かっています。木橋を渡ると本丸に着きますが、けっこう簡単に本丸に着いたと言う感想です。
本丸の北側には北の丸。南側には弾薬庫と兵糧庫のある曲輪があります。

天守櫓跡

本丸の北隅には天守櫓跡があります。標高578m。櫓の面積は一辺約7.5mの正方形で、周囲には帯曲輪や犬走りを思わせる通路がついており、天守閣と言うより、物見櫓のような高櫓であったと推測されています。
本丸の北を守るのが北の丸で、本丸と北の丸を分ける空堀が見どころです。今は木が植わっており、空堀の役目は果たしていませんが、当時はもっと深くて、急峻な空堀だったことでしょう。これから西の丸に向かいます。

空堀

西の丸は、有名な障子堀が一番きれいに見ることができます。山中城を紹介したパンフレットや、案内などには、障子堀にきれいに芝生が張られた写真がありますが、今回訪れた際には、なんか芝生が剥がれてはげていました。しかし、空堀に芝生なんて(歩きやすく)おかしいですし、実際は堀底の部分が土で固められていたのだと思いますので、これでいいのかも知れません。
この日は天気は良かったのですが、少し雲があり、富士山の全景を見ることはできませんが、それでも大変良い眺めです。時々、花火を打ち上げるような音がしているのですが、ひょっとするとこれは自衛隊の射撃演習なのでしょうか??
山中城には国道を挟んで出丸もあります。山中城攻防戦の豊臣方、北条方の戦死者を一緒に葬っている、宗閑寺墓地がありますので、そこを見学しつつ、出丸に行きます。

障子堀

日本100名城スタンプ情報

山中城スタンプ


山中城跡バス停前の売店に設置してあります。
売店内にて保管されていますので、営業時間内でないと押印できませんが、営業時間外は、スタンプを押した紙が置いてあるようです。
山中城跡売店の営業時間、定休日などは、三島市観光協会( 055‐971‐5000)までお尋ねください。

登城日:2009.03.05(木)

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