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伊豆國 河津城 (静岡県河津町)

(読み):かわづじょう

河津城二郭から見る主郭

河津城は、戦国時代初め足利氏の血を引く蔭山勘解由によって築かれた城だと言われています。言い伝えによれば、延徳3年(1491)伊勢新九郎(北条早雲)の伊豆攻略軍に山のふもとから火攻めを受け、燃え盛る火の手を防ごうにも山城で水はなく、思いあぐねて大量の兵糧米を山頂から火の海めがけ流し出して火を消そうとしましたが、山肌をなめるように迫り来る炎をとうとう消し止められずあえなく落城しました。
河津城の施設は、本郭と呼ばれる城の中心部ががある尾根にかけて存在しており、実践本位で詰め城を意識した典型的な山城と言えます。 建物は、礎石の上に柱を立てた平屋建ての簡素な小屋程度のものでした。主郭からは、貯蔵庫の跡らしきものが見つかっています。

お城への行きかた

伊豆急行 伊豆急行線 河津駅下車。主郭まで徒歩約30分。


お城の状況、感想など

河津七滝ループ橋

修善寺城を下城して、城山神社参道入口の西側、国道136号線(下田街道)にある狭間バス停まで来ました。ここから天城峠を経由して、伊豆急の河津駅まで行く、東海バスがありますので、このバスに乗車して河津城に登城します。
バスは途中、河津七滝ループ橋を通ります。この橋は、地震や豪雨もよる土砂崩れの危険のある旧道を昭和56年(1981)にこのループ橋を建設することにより解消。高低差45mを2段のループで登っています。
天城越えとループ橋をゆくローカル路線バス旅を楽しみながら、約1時間20分で河津駅に到着しました。

河津駅近くの登城口   竹藪の中の登城道

河津駅から登城口まではすぐで、駅の北側に案内板が立てられた道があります。この河津城は、河津城跡公園として整備されており、隣の片瀬山共々、地元ではハイキングコースとしても知られています。
登城口から、しばらくは舗装道路が続きますが、5分ほど歩くと石畳道となり、やがて「河津城跡公園 350m」と書かれた標柱のある、城山(河津城跡)への分岐点です。分岐点を左折して城山方面に向かうと竹藪の中の登城道となります。
河津城への登城口

河津桜と相模湾   復元された冠木門

竹藪を抜けますと、休憩舎があり一休みします。ここからは階段で一気に城山を登ります。途中、河津の街並みと相模湾が一望できる場所がありました。その手前には河津桜が咲いています。登城したのは、3月16日と言うことで、早咲きの河津桜はもうかなり散ってはいますが、まだまだきれいに花見をすることができました。
復元された冠木門をくぐりますと2郭に到着します。

河津城主郭の米庫   主郭から2郭を見下ろす

2郭に着きましたが、ここは花見のグループが数名おり写真を撮るのに苦労しました。2郭から一段高い曲輪が河津城主郭になります。主郭には、河津城が伊勢新九郎に火攻めにされた時に、水がないため、代わりに兵糧米を火に向かって流した故事からか、米庫が建てられています。
このことから現在でも河津城跡からは、焼けた米が出土するそうですが、燃え盛る炎に向かって米を流すと・・・。そうなりますわな。

主郭背後の堀切   堀切

さて河津城主郭に着きましたが、これで終わりではなく、公園化されて以降もあやふやな、2郭と主郭の背後には中世山城らしい堀切があるので行ってみます。なお写真をご覧いただきますと曲輪周囲には柵がしてありますが、この柵を越えなければ堀切には行けません。ここから先は自己責任に置いての行動です。
主郭の背後を見下ろしますと、給水タンクのような物が見えます。このタンクのある先が堀切となっています。
この堀切の先は尾根道が続いており、この尾根道を進んで行きましたが、すぐに行き止まりとなっていましたので、この尾根道も曲輪跡のような感じがしました。
主郭に戻り、一休みしてから下城しました。この後は、河津駅から伊豆急行線で、終点の伊豆急下田に向かい、下田城へ登城したいと思います。

堀切先の尾根道   河津城絵図

登城日:2012.03.16(金)

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