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伊豆國 韮山城 (静岡県伊豆の国市)

(読み):にらやまじょう

韮山城本丸

韮山城は、文明年間(1469年〜1486年)に堀越公方足利政知の家臣、外山豊前守が城を築いたのが始まりと言われています。延徳3年(1491)に堀越公方足利茶々丸を攻め滅ぼした伊勢盛時(北条早雲)が伊豆の拠点として、韮山城を居城とします。
その後、後北条氏は、小田原城拠点を移しますが、永禄末年には北条氏康の四男・氏規が城主として入り、伊豆支配の中心地としました。
しかし後北条氏は天正18年(1590年)の小田原の役では、豊臣秀吉の大幅な攻勢を受け、韮山城にも豊臣軍の織田信雄を総大将とする約4万の軍勢が迫ったために、北条氏規は約4千の兵にて籠城して戦い、約3ヶ月持ちこたえましたが、徳川家康の説得により開城しました。
その後、関東に入った徳川家康の家臣、内藤信成が居城としていましたが 慶長6年(1601)に駿河駿府城に転封となり、韮山城は廃城となりました。

お城への行きかた

伊豆箱根鉄道 駿豆線 韮山駅下車。徒歩約25分。


お城の状況、感想など

堀切

伊豆箱根鉄道の韮山駅で下車。駅より南へ行き、広い通りに出たらそのまま東に行きます。その道の歩道には、伊豆ゆかりの人物などの紹介がタイルに書かれており、大変面白いです。そのまま東に行くと源頼朝が配流された地、蛭ヶ島の前を通ります。
蛭ヶ島を過ぎ、韮山中学校の北の道を東に進むと、城池が現れます。案内板の通りに城池の西を北上すれば韮山城登城口に着きます。

登城口の虎口

今通って来た、韮山中学校北の道ですが、「てじろ坂」と呼ばれており、韮山城と天ヶ岳の尾根を分断する堀切かと思います。また韮山城側にも2つ堀切が連続していますので、3重の堀切になるかと思います。
また韮山城は、このお城単体ではなく、標高128mの天ヶ岳山頂にある天ヶ岳砦を始め、江川砦、土手和田砦和田島砦、金谷砦からなる、韮山城塞群とも言える支城群と韮山の本城から成り立っています。だからこそ、小田原の役でも4万の軍勢を相手に3ヵ月間も持ちこたえることができたのでしょう。

権現曲輪土塁

登城口から登ると、枡形になっており、三の丸に到着します、ここは現在、韮山高校のテニスコートとなっていますが、土塁が見られます。ちなみにすぐ西の韮山高校は、御座敷と呼ばれていた城主の居館跡のようです。
三の丸から熊野権現大社の祀られている権現曲輪へ。ここから、堀切を通ると二の丸です。ここでも低いですが土塁が見られます。

塩蔵土塁

二の丸から先、階段を登ると本丸になりますが、面積がかなり狭いです。天気が良ければここから富士山が見えるのですが、雨がやっと上がったものの曇り空ですので、まったく見えません。残念です。
本丸から直線に伸びた尾根筋を行くと、塩蔵と言われる曲輪に着きます。ここが韮山城の南端になります。塩蔵は面積が狭いですが、高い土塁が巡っており、弾薬庫などがあったのではないかと想像されています。
韮山城だけ見ると“思ったより小城”と言う印象しかありませんが、先にも述べましたように天ヶ岳砦を中心とする支城群があります。ここにも行ってみたいのですが、未整備に近くおまけに雨上がりで足元が非常に悪いです。とりあえずこの後は、韮山代官屋敷跡の江川邸に行ってみることにします。


韮山古城図

登城日:2012.02.23(木)

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