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日向國 高鍋城 (宮崎県高鍋町)

(読み):たかなべじょう

高鍋城岩坂門跡

高鍋城の前身である財部城は、平安時代末期に宇佐八幡宮の神官を祖先に持つ土持氏によって築かれました。
長禄元年(1457)に、都於郡城の伊東祐堯が財部城を攻撃して落城させると、家臣の落合民部少輔が城主となりますが、木崎原の戦い後の天正5年(1577)に伊東義祐が、豊後の大友宗麟を頼って落ちると、財部城は島津氏の川上忠智が城主となります。
その島津氏も、天正15年(1587年)の九州征伐にて豊臣秀吉に屈服すると、秀吉は筑前秋月城主であった秋月種実を日向櫛間城に移封し、嫡男の秋月種長の代に、この財部城に居城を移し初代藩主となりました。
財部城は、3代藩主秋月種信の代に堀、大手門などの城門、本丸御殿などを建設し、延宝元年(1673)に、財部城から高鍋城に名を改め、高鍋藩は明治まで秋月氏が治めています。

お城への行きかた

JR九州旅客鉄道 日豊本線 高鍋駅下車。宮崎交通バス 西都バスセンターゆきバスに乗車。舞鶴公園前バス停下車。徒歩約2分。


お城の状況、感想など

岩坂門跡石垣   舞鶴神社

JR線利用ですと、日豊本線の高鍋駅で下車しますが、この高鍋駅から、この高鍋城を含む高鍋町中心部まで約3km離れています。高鍋駅と高鍋城の最寄の舞鶴公園前バス停間には、宮崎交通バス 西都バスセンターゆきがあるものの、1日6往復しか走っていません。それ以外にも、JR高鍋駅から西に約100mに高鍋駅前バス停から、高鍋バスセンターゆきのバスに乗車して、中央通バス停で下車しますと、徒歩約10分で舞鶴公園まで行けます。この路線バスは1時間に1〜3本あります。
私は佐土原城登城と、島津氏墓所高月院を墓参した後、一旦、バスで西都バスセンターに戻り、そこから高鍋駅ゆきのバスに乗りました。このように宮崎交通バスを1日乗り降りする場合、宮崎交通バス1日乗り放題乗車券があるので便利です。私も日向國登城の際には、毎回購入している乗車券です。

長峰門跡   本丸政庁跡

高鍋城は、町役場にもほど近い場所にあり、現在は舞鶴公園として整備されています。舞鶴公園に入りますと、両側に石垣を持つ立派な岩坂門跡があります。門跡は石段になっていますが、これは後世に積まれたも石段ではないでしょうか?元々は門の内側は枡形になっていたと思われます。
岩坂門から入りますと、二の丸跡になりますが、現在は舞鶴神社が建立されています。

高石垣   高石垣前の曲輪

二の丸跡から、長峰門跡を入りますと本丸跡で、高鍋藩の政庁があった場所です。本丸は、桜などの木々が植えられている公園で、まったく城跡と言う感じがしません。
この高鍋城は、本丸が最深部の曲輪ではなく、この背後の山に詰の丸があるので入って行きます。石段を登りますと、曲輪の切岸部に高石垣がありました、この高石垣の上部の曲輪は三階櫓跡と呼ばれており、その三階櫓のある曲輪の切岸に積まれています。この高鍋城での最大の見どころと言えるでしょう。

土塁   土塁

この高石垣前の曲輪は、詰の丸ではかなりの広さがあり、象を模したすべり台やブランコなどの遊具がありますが、西端には土塁が見受けられます。

物見台からの眺め   詰の丸曲輪

さらに詰の丸に登って行きますと、物見台と呼ばれる曲輪があります。現にここからの高鍋の街並みの眺めは良く、遠く日向灘まで見通すことができます。
物見台の上にも2段の曲輪があり、下部の曲輪が三階櫓あった曲輪ですが、櫓台などは無く、ここも木が植えられているだけの広い空間です。

三層櫓跡"    詰の丸土塁

少し拍子抜け感を持ちながら頂上部へと登ります。頂上部の曲輪は、三角点もあることから、この詰の丸の本丸ともいわれる場所とは思いますが、土塁のような土盛はあるものの、はっきりとした遺構は確認できません。何かの建物が建てられていたのでしょうか?
高鍋城は、平城の政庁と詰の山城を併せ持つお城ですが、公園化により、石垣以外の遺構があまり確認できなかったのが残念です。この後は高鍋藩主秋月墓地を訪れることにします。

登城日:2014.03.03(月)

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