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筑前國 秋月城 (福岡県朝倉市)

(読み):あきづきじょう

秋月城長屋門

建仁3年(1203)に、秋月種雄(たねかつ)が将軍源頼家から秋月荘を拝領し、秋月氏は古処山城を築き、幕府に従って領地を治め元寇の時には従軍しました。
秋月種実の時代に一時、豊後の大友氏に古処山城を落とされ、毛利氏を頼って落ち延びますが、毛利氏の支援を得て旧領を回復。その後、島津氏と組み、大友氏を打ち破り大友領の一部を手に入れて、最大36万石となり秋月氏の全盛期を迎えます。
しかし時勢を誤り、天正15年(1587)に九州征伐に乗り出した豊臣秀吉に敗れ降伏します。
種実は剃髪し、名物茶器「楢柴肩衝」と「国俊の刀」を降伏の印として、豊臣秀吉に献上したことにより、秋月氏は存続を許されて、日向高鍋城3万石に移封されます。
寛永元年(1624)、福岡藩主黒田長政の三男、黒田長興が秋月5万石を分封され、長興は、九州征伐以降廃城となっていた秋月城を改修し、陣屋を置きました。以後、黒田氏12代が明治まで存続し、廃藩置県を迎えました。
昭和55年(1980)には、「秋月城跡」として福岡県の史跡に指定されています。

お城への行きかた

甘木鉄道または、西日本鉄道甘木線、甘木駅下車。甘木観光バスの秋月ゆきに乗車して、郷土館前下車。徒歩約5分。


お城の状況、感想など

秋月城石垣の橋

秋月に行くバスは、甘木鉄道の駅前から発車します。甘木観光バスは、甘木〜秋月間の路線バス事業を西鉄バスから受け継いだ会社です。HPは観光バス事業のみの紹介ですので、掲載しておりません。秋月ゆきバスは約1時間に1本の運転です。
福岡県でも山あいに秋月の町があります。筑前の小京都と呼ばれるように大変落ち着いた町並みです。しっとりと見学いたしましょう。

秋月城大手門

現在、秋月城址は秋月中学校となっていますが、その前に見事な堀と石垣があります。堀を渡る橋も石垣で出来ています。
そのそばに秋月城長屋門が現存しています。両脇には重厚な石垣、長屋門に続く石段。当時の秋月城のおもかげが忍ばれる門です。
長屋門の先には、秋月藩祖黒田長興を祀る垂裕(すいよう)神社があり、参道には黒門があります。この黒門は秋月氏時代の居城・古処山城の搦手門を黒田秋月城の大手門にしたものです。
黒田氏によって5万石ながらも栄えた秋月ですが、先代の城主である秋月氏は、一時36万石までになりながらも、天下人・秀吉に背いたため滅亡は免れたもの没落します。
先見の明があれば、即、秀吉に従い、なおかつ名物茶器を献上していれば大大名に…。と思います。

秋月郷土館

最後に秋月郷土館(注・平成29年(2017)に閉館。新たに朝倉市秋月博物館としてオープン)、に入ってみます。
この郷土館は、藩校「稽古館」の跡地に、秋月藩の上級武士だった「戸波家」の屋敷を移築した資料館です。館内には、藩主愛用の甲冑、刀剣のほか、秋月の歴史を伝える文書、書跡、肖像画、屏風などを多数展示されています。
落ち着いた町並みに現存している建物。秋月は“筑前の小京都”の名に恥じない素晴らしい町でした。

登城日:2005.03.12(土)

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