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日向國 島津氏墓所[高月院](宮崎県宮崎市)

(読み):さどわらはんしまづしぼしょ [こうげついん]

高月院山門

高月院は、慶長17年(1612)4月の佐土原藩 初代藩主の島津以久の3回忌にあたり、2代藩主の島津忠興が建立し、以後、佐土原藩主の菩提寺として保護を受け、島津公墓地には、藩主及び奥方、側室の墓石が並んでいます。
島津家は代々曹洞宗でしたが、島津以久は、晩年京都伏見にあったとき京都大雲院の門に入りました。寺号の高月院は、島津以久の戒名「高月院殿前典厩照誉崇恕居士」から来ています。

高月院への行きかた

JR九州旅客鉄道 日豊本線 佐土原駅下車。宮崎交通バス 西都バスセンターゆきバスに乗車。春田バス停下車。徒歩約3分。


高月院の状況、感想など

本堂   戊辰戦役佐土原藩隊士の碑

JR日豊本線の佐土原駅が最寄ですが、上記のバス路線以外にも、宮崎市内(宮崎駅バス停もしくは、橘通り3丁目バス停。橘通り3丁目ほうがバスの便が多い。)より西都バスセンターゆきのバスに乗車して、春田バス停で下車することもできます。
私は、佐土原城搦手口から下城しまして、高月院に向かいました。佐土原城からも、10分もあれば到着できます。山門をくぐりまして、境内に入りますと本堂横には、幕末の戊辰戦争に出陣して亡くなった、戊辰戦役佐土原藩隊士の碑があります。また高月院の由来も書かれた案内板も設置されており、大変分かりやすいです。

佐土原藩島津家御廟所   初代藩主 島津以久公

佐土原藩島津家御廟所に向かいます。高月院の小高い場所に墓地はあり、全藩主ではありませんが(5代、6代藩主がありませんでした。)歴代藩主ならび、室(藩主の正室)の墓石が並んでいます。

2代 島津忠興公   3代 島津久雄公

初代藩主の島津以久(もちひさ)は、島津本家第15代の島津貴久の弟である、島津忠将を父に持ち、永禄4年(1561)、肝付兼続との戦いで、父、忠将が討死すると、叔父の島津貴久に引き取られ養育され、慶長8年(1603)に佐土原3万石を与えられ初代藩主となりました。

4代 島津忠高公   7代 島津久柄公

順に歴代藩主墓所を参拝して行きます。5代と6代の墓石が見当たりませんが、参勤交代により、江戸で亡くなった場合、江戸にて葬られるので、5代、6代は、東京に墓所があるのかも知れません。

8代 島津忠持公   9代 島津忠徹公

室の墓所は、今回紹介いたしておりませんが、藩主の傍に室の墓所もあります。

10代 島津忠寛公    11代 島津忠亮公

このお寺の寺号である高月院は、島津以久の戒名である「高月院殿照誉崇恕大居士」から来ています。以久公逝去の折には、殉死した忠臣も居たようで、高月院殉死者の墓石も、以久公を守るように建立されています。墓参を済ませたのちは、高鍋城へとバスで向かいます。

高月院殿殉死者供養塔    佐土原城礎石

墓参日:2014.03.03(月)

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