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日向國 佐土原城 (宮崎県宮崎市)

財団法人 日本城郭協会選定 「続日本100名城 bP96」

(読み):さどわらじょう

佐土原城本丸跡

佐土原は元々、田島と呼ばれており、鎌倉幕府の命により代官が置かれていました。
代官であった田島氏は、本家筋の都於郡城の伊東氏より養子を迎えることになり。伊東祐賀が婿として入りますが、祐賀は佐土原氏を名乗り、事実上、田島を乗っ取り、このころからこの地ならび城は佐土原と呼ばれるようになり、伊東四十八城の1つ数えられました。
しかし元亀3年(1572)の木崎原の戦いで、伊東氏は薩摩の島津氏に破れると、佐土原城も島津氏の手に落ち、島津家久が佐土原城主となります。
関ヶ原の戦いでは、島津氏は西軍として戦ったため、戦後の佐土原は、一旦幕府直轄領となりますが、慶長8年(1603)に島津以久が3万石で佐土原に入封すると佐土原藩は明治まで続きました。

お城への行きかた

JR九州旅客鉄道 日豊本線 佐土原駅下車。宮崎交通バス 西都バスセンターゆきバスに乗車。西佐土原バス停下車。徒歩約10分で登城口の宮崎市佐土原歴史資料館 鶴松館。本丸までは、さらに徒歩約20分。


お城の状況、感想など

麓の鶴松館

JR日豊本線の佐土原駅が最寄ですが、上記のバス路線以外にも、宮崎市内(宮崎駅バス停もしくは、橘通り3丁目バス停。橘通り3丁目ほうがバスの便が多い。)より西都バスセンターゆきのバスに乗車して、交流センター前バス停で下車することもできます。(バス停より、西にすぐの場所に登城口の鶴松館。)
鶴松館は、江戸自体に入ってからの佐土原藩の政庁ですが、現在資料館として復元されています。開館日は土日祝のみで、本日は月曜と言うことで入館できませんでしたが、外観だけ見ても大変立派な御殿です。

切通状の登城路   切通状の登城路

鶴松館の脇から佐土原城への登城口があります。登城路は、切通状の通路を登って行きます。途中、松尾丸への分岐がありますので、まず松尾丸に行きます。この佐土原城は、大きな曲輪として、本丸、南の城、そして松尾丸の3つの曲輪があるようです。
松尾丸は、尾根上に築かれた長細い曲輪で、先端部が土壇になっていますので、ここに物見櫓が建てられていたのでしょう、現在は木々に覆われ見通しが悪いですが、木々がなければ佐土原城の南西方向が一望できると思います。

松尾丸跡   堀切

松尾丸から戻って南の城へ向かいます。途中、尾根筋を分断した堀切があります。この堀切の底が南の城〜本丸方面への通路にもなっています。

南の城虎口   南之城

枡形虎口から南の城へ入ります。南の城は、東尾根と南尾根との合流点にあるため、本丸へ向かうには東、南のどちらかのコースを取っても、この南の城が立ちはだかり、本丸攻略の最後の砦となっています
南の城は曲輪周囲の藪によって確認しづらくなっていますが、北東側は、今登ってきた登城路を見下ろすことができ、また南側は松尾丸を見下ろすことができるようになっています。ここから両方面の攻撃が可能です。

本丸枡形虎口   本丸跡

南の城から本丸へ向かいます。本丸も枡形虎口になっており内部に入ると、現在、本丸発掘調査の最中であり、数名の方々が作業しています。
ですから、本丸内には立ち入ることができず、周囲から拝見するだけとなりましたが、かなりの広さを持つ本丸は、土壇を溝(通路)で区切って分割して利用されていたとのことです。

本丸の土壇   天守台跡

本丸の先には天守台跡があります。周囲を石垣に囲まれていますが、天守台と言うほどの高さではありません。古い資料には、三重櫓跡として描かれていますが、実際に天守(三重櫓)があったのかは定かではありません。この天守台付近も発掘調査されていますので、実際に天守があったのかも確認されることでしょう。

天守台跡と石垣"    搦手口

天守台跡からは、来た道を戻らずに搦手口への下りて行きました。佐土原城下城後は、佐土原藩主の菩提寺である、高月院を訪れることにします。

続日本100名城スタンプ情報

佐土原城スタンプ


佐土原城麓の宮崎市佐土原歴史資料館 鶴松館に設置してあります。
なお鶴松館は、特別開館期間の5月15日〜6月14日を除きまして、開館日が土・日・祝日のみとなっておりますので、平日は、鶴松館の向いにある、宮崎市城の駅 佐土原いろは館にて押印出来ます。

登城日:2014.03.03(月)

スタンプ押印日:2023.12.15(金)

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