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備前國 周匝茶臼山城 (岡山県赤磐市)

(読み):すさいちゃうすやまじょう

周匝茶臼山城模擬天守

周匝茶臼山城は、戦国時代に安芸国から来た笹部勘二郎が築城し、天神山城の浦上宗景に属して勢力を振いました。
しかし、主家の浦上宗景は、宇喜多直家に下剋上により、天神山城を追われ、宇喜多直家が、備前国の実権を握りました。
笹部勘二郎と子の貞利は、主家の仇打ちとばかりに宇喜多直家の家臣、延原弾正を撃ち破りましたが、反対に宇喜多直家に周匝茶臼山城を攻められ、天正7年(1579)に落城。笹部父子は、城と運命を共にしました。
その後、寛永9年(1632)に因幡鳥取城主(鳥取藩)の池田光政が、岡山に転封になった際、家老の池田長明が、この周匝に2万2千石を賜って、この地に陣屋を築きました。

お城への行きかた

JR西日本旅客鉄道 山陽本線 山陽新幹線 岡山駅下車。駅東口のバスターミナルより、宇野バス 湯郷温泉経由、林野駅ゆきに乗車。周匝バス停下車。または、宇野バス 美作線ネオポリス方面ゆきバスに乗車。新道穂崎バス停で下車して、赤磐市広域バスに乗り換え。周匝バス停下車。
(注)宇野バスにつきましては、岡山駅より、湯郷温泉経由林野駅ゆきバスは、以前は1時間1本ありましたが、平成25年春の改正により、日中を中心に大幅減便となり、その減便分を補うため、赤磐市、美作市、美咲町の共同運行で、代替バスの赤磐市広域バスが運転されています。岡山駅から乗り換えバス停の新道穂崎までは、約30分掛かります。
周匝までの(または周匝からの)バスの時刻は、片上鉄道保存会さんのサイト内にも掲載されていますので、ご参照ください。


お城の状況、感想など

片上鉄道保存会展示運転

昔、この地には「同和鉱業片上鉄道」と言うローカル私鉄が走っていました。私は、この鉄道に2回ほど乗車したことがあるのですが、周匝駅に到着した時に、山のてっぺんに小さな天守があるのが見えますので、とても気になっていました。
その片上鉄道も赤字により、平成3年6月末で廃止となりましたが、現在でも片上鉄道保存会が、周匝より吉井川を北に6kmほど遡った場所にある旧吉ヶ原駅にて、毎月第一日曜日に片上鉄道車両の展示運転を開催しています。その展示運転に参加して、この周匝にやって来ました。

吉ヶ原駅の駅長猫コトラ(就寝中)

上の地図をご覧いただくとお分かりになると思いますが、国道から周匝茶臼山城まで道が付いております。私は以前にも茶臼山城に登城したことがあるのですが、その時は、この道を登りました。まだフィルムカメラ全盛の時代で、あまり写真も撮っていなかったので、今回再訪となります。またその時は、行ってなかった太鼓の丸から登城することにしました。
太鼓の丸への登城口は、下の地図をご参照ください。なお登城口近くに、吉井川に架かる人道橋がありますが、この橋は、片上鉄道の廃線された橋梁を再利用されたものです。列車は周匝から吉井川を渡って、吉ヶ原方面に向かっていました。
周匝茶臼山城太鼓の丸登城口の場所


太鼓の丸(出丸)  太鼓の丸切岸

二の曲輪

登城道から登って行くと、5分ほどで太鼓の丸跡に着きました。この太鼓の丸は、周匝茶臼山城の出丸で城の東に睨みを効かせています。現在、太鼓の丸には忠魂碑が建てられていますが、周囲が帯曲輪のようになっており、太鼓の丸の切岸も明確に分かります。
ここから周匝茶臼山城の本丸に行くことができます。階段ついた細い山道ですが、あまり通る人もいないためか、少々草叢になっている個所もあります。登りきると周匝茶臼山城の本丸東下の二の曲輪と明記された場所に着きます。
この二の曲輪には東屋があるので一休みです。この日は、晴れているかと思いきや、何度も夕立のような激しい雨が降り、吉ヶ原駅での展示運転中にも2度雨が降り、今もゴロゴロと空が鳴っています。

二の曲輪脇の井戸跡

幸い雨は逸れたようで、城の曲輪見学を再開します。この二の曲輪の南側には井戸跡があります。今は水もなく、草で覆われていますが、けっこう大きな井戸跡です。ここから本丸方面に橋が架けられていますが、この橋の下は竪堀になっています。
周匝茶臼山城の駐車城前に出ました。この駐車場から本丸の間には巨大な堀切があります。この堀切は東側に竪堀となって落ちています。大堀切から本丸に行ってみます。

大堀切  竪堀

茶臼山城 模擬の石垣と冠木門

大堀切からは本丸へは、模擬で造られた石垣と冠木門が迎えてくれます。冠木門をくぐると小ぶりな2層3階の模擬天守があります。堀切や竪堀などの中世城郭造りと模擬ではありますが、近世城郭の石垣と天守のギャップがもの凄いです。また本丸にはなぜか竪穴式住居まであります。
素朴な疑問ですが、この周匝茶臼山城は、城山公園として整備されていますが、この模擬天守と石垣造りだけで莫大な費用が掛かったと思います。模擬天守にも登れますが、入城料などは不要です。昭和時代に建てられたと思いますが、誰がこの模擬の城を建てたのでしょうか?一時、ふるさと創生事業で1億円がバラ蒔かれたこともありますが、それではまったく足りないと思います。赤磐市になる前の、吉井町はそれほど裕福な町だったのでしょうか??

模擬天守からみる周匝の町

それも模擬天守は木造でした。それほどの展示はありませんが、周匝茶臼山城の歴史の展示や、おなじみの他の天守を持つ城の写真も掲げられています。
3階部分は展望台となっており、周匝の町並みならび、雄大な吉井川がよく見えます。直下は、お城には不自然な竪穴式住居と古い造りの民家(一応、茶臼山城管理人の詰所になってます。)も建てられています。
これから、周匝茶臼山城の二の丸にある、周匝領主 片桐池田家の墓所、空のお塚と、本格的な中世山城の大仙山城に行きます。

吉井川に架かる周匝橋から茶臼山城を見る

登城日:2013.07.07(日)

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