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因幡國 鳥取城 (鳥取県鳥取市)

財団法人 日本城郭協会選定 「日本100名城 bU3」

(読み):とっとりじょう

吉川経家像と鳥取城

鳥取城は、天文年間に因幡の守護である山名誠通が久松山(きゅうしょうざん)に築城したと伝わる山城で、家臣の武田高信が城代として入っていました。
その後、天正元年(1573)に主家を凌ぐ力を持った武田高信を、尼子の残党と結んだ因幡守護職の山名豊国が討ち、鳥取城に入りますが、この鳥取城は、中国の毛利と、天下を狙う織田との抗争地点となり、山名豊国は、二転三転と両者の間を降伏します。
不甲斐ない主人に業を煮やした家臣団は、豊国を追放。天正9年(1581)に毛利家より、鳥取城将として吉川経家を迎えます。
同年、織田家重臣の羽柴秀吉は、鳥取城を兵糧攻めにし、3ヶ月にわたる籠城戦(鳥取城の渇え殺し)の末、食料が付き果てた鳥取城は、城代の吉川経家の自刃により降伏開城しました。
その後、鳥取城には、宮部継潤、池田光政が入ります。寛永9年(1632)に岡山藩の池田光仲との間で所領交換が行われ、池田光仲が32万石で鳥取城に入り、光仲家系が12代続き明治を迎えています。

お城への行きかた

JR西日本旅客鉄道 山陰本線 鳥取駅下車。県庁方面行きのバスに乗車して西町バス停下車。
ループ麒麟獅子バス(土日祝・夏季のみ運行)に乗車して鳥取城跡下車。
鳥取市コミュニティバス くる梨 緑コース乗車して仁風閣・県立博物館バス停下車。
上記の各バス停より鳥取城山下ノ丸まで徒歩約5分。
久松山山頂の山上ノ丸までは徒歩約40分。


お城の状況、感想など 山上ノ丸(さんじょうのまる)編

十神砦への虎口

本来山城と言うものは、麓から山頂に登って行くものではありますが、今回の鳥取城は、太閤ヶ平 羽柴秀吉本陣から、大平 羽柴秀長陣所を経て、一旦、麓の吉川経家墓所を参拝して、また登って(ハァハァ)遊歩道沿いに鳥取城山上ノ丸に来ました。たまにはこう言ったルートでの登城も面白いと思います。
今回の鳥取城は、久松山山頂の山上ノ丸から、麓の山下ノ丸に下りて行きながら見学します。

十神砦

さて円護寺の分岐から遊歩道を歩いて行きますと、鳥取城の説明板がある地点に来ました。この辺りから鳥取城の城域入ったのだなと思います。
さらに進みますと、虎口らしき場所に着きました。道は右にカーブし石垣があります。この虎口を入り右に行くと十神砦。左に行くと鳥取城山上ノ丸となります。この十神砦は、鳥取城の出城と思われ、岩場にある曲輪ですがそれほど広くはありません。ここから麓の円護寺や向かいの太閤ヶ平も良く見えます。天正元年(1573)には、尼子の残党の攻撃をこの十神砦で防いでいます。 来た道を戻り鳥取城山上ノ丸に向かいます。

城門石垣

少し登ると左手に大きな休憩所があります。この休憩所は、久松山ロープウェイの山上駅の跡で、昭和44年(1969)に開業したものの、8年ほどで廃止されています。山麓駅が、正面の県庁側でなく、円護寺方面にあるため一般観光客には不便だったようです。
さらに登りますと、石垣造りの城門跡があります。これはかなり立派なものです。また石垣脇には井戸も見受けられます。
山上ノ丸入口には案内図付きの説明板があり、ここから見る本丸切岸部の石垣も見事です。では山上ノ丸に入りましょう。

鳥取城本丸石垣

鳥取城山上ノ丸二の丸

石段を登って行きますと、ちょうど本丸と二の丸の間に着きます。向かって右側の二の丸の方へ行きますと、現在、山上ノ丸二の丸には、ガランとしたコンクリートの休憩所があり、その奥にあるもう1つの曲輪が三の丸のようです。
本丸へと向かいます。山上ノ丸は、久松山山頂部を数段に切り開いて構築し、一番高い部分が本丸となります。本丸には天守の他、著見櫓、多聞櫓、それをつなぐ走櫓などの建物があり、平時は御天守奉行が本丸を管理していました。
あと本丸には、池田長吉が慶長7年(1602)の大改築の時に掘った井戸と伝わる車井戸があります。かなり大きな井戸で本丸にあるのは心強き限りですが、羽柴秀吉の鳥取城攻めの当時にはなかったようです。

本丸車井戸

本丸の南西端から見てみると一段低い部分にも曲輪があります。これは出丸ですが、現在は本丸石垣が崩落の恐れがあるので立入禁止になっていますので見下ろすだけにします。
本丸隅には天守台があります。この天守台には直接鉄の階段が取り付けられており登ることができます。天守があった当時は、天守脇に付櫓があり、まず付櫓に入ってそこから天守に入るようになっていたと言う説もあります。
天守台の一部の石垣は、昭和18年(1943)の鳥取地震で崩れたのがそのままになっています。今後、このままでは崩落がかなり進んでしまわないか心配です。

鳥取城天守台  天守台内部

天守台から鳥取駅方面を見る

天守台に登ってみます。かなり大きい天守台でここからは、西に湖山池や鳥取空港、北に鳥取砂丘まで良く見えます。南側は鳥取駅や市街地が一望できます。
天守台は、久松山山頂部で吹きっ晒しですので、太閤ヶ平より、結構汗をかいて登って来ましたが、風が強く寒くなってきました。この天守台には、山名豊国が天神山城より移築した3層の天守が建てられていましたが、池田氏入封にともなって、2層の天守に建て替えられたとか。山名の3層天守が強風によってかなり傷みが激しかったためと言われています。この風では納得のいく話です。

鳥取城本丸から見る太閤ヶ平

さてだんだんと時間も過ぎて行きますので、そろそろ山上ノ丸から下城して、麓の山下ノ丸も見学しましょう。
本丸の北端から、羽柴秀吉の本陣であった太閤ヶ平がよく見えます。太閤ヶ平のある本陣山には無線中継所のアンテナが建っていますのですぐに分ります。数時間前まで居た太閤ヶ平ですが、お互い近距離での睨みあいが続いたものの、やはり援軍が来ず、兵糧が尽きた鳥取城側には勝機はなかったと言えるでしょう。

鳥取城山上ノ丸案内図



お城の状況、感想など 山下ノ丸(さんげのまる)編

天球丸虎口

山上ノ丸から下りて行きます。石段が続いていますので、かなり膝にきます。今日は結構な距離を歩いていますのでもう膝がくがくです…。
八幡宮跡に下りてきました。ここからは天球丸の曲輪がよく見えます。山上ノ丸も石垣造りであったものの、積み方が丸で異なり、麓の山下ノ丸は、江戸期の近代城郭となっています。まず天球丸から見学します。

天球丸巻石垣

天球丸の枡形虎口を入ると曲輪はかなりの広さを誇ります。この山下ノ丸では最高所となっており、山下ノ丸の本丸とも言える曲輪です。
この天球丸最大の見どころと言えば復元された巻石垣です。天球丸からは、その巻石垣を見下ろすことができます。私は以前、平成20年(2008)にも鳥取城を訪れたことがありますが、その時にはまだこの巻石垣は復元されていませんでしたので、今回の山下ノ丸登城の目玉です。
巻石垣は通常の石垣では崩れやすいのを、石垣を球状にすることで、耐性を上げた積み方で、主に河川の護岸や堤防などに多用されている積み方だそうですが、城郭では鳥取城が全国で唯一とのことですので、もちろん私も見るのは初めてです。復元とは言え、大変きれいに球面に積み上げられた石垣です。

菱櫓跡

山下ノ丸には現在建物類は現存していませんが、明治初期までは残っていたようです。その後、陸軍によって建物は払い下げられ破却されたようです。
天球丸を出て二の丸に下ります。“下ります。”と言うのは、二の丸が天球丸より一段低い場所にあるためです。この山下ノ丸だけでもかなりの高さがあり、まだ鳥取の市街を見下ろすことができます。これだけでも立派な平山城です。
この二の丸には、菱櫓跡と三階櫓跡の石垣が残っています。先ほども書きましたように、残念なことに両櫓とも明治期に陸軍によって破却されています。二の丸跡の案内板には明治初期のありき日の三階櫓と菱櫓の古写真が掲載されています。

天球丸巻石垣

表御門跡

菱櫓跡から東を見下ろしますと鳥取西高校があります。この高校は、三の丸跡に建てられているようです。三の丸には、江戸中期には鳥取藩主の御殿が建てられ、御殿脇には三の丸庭園が造られました。
山上ノ丸は、平成26年(2014)現在、石垣の修築などが行われています。今後も鳥取市では、櫓の復元などを含めた、「史跡 鳥取城跡 附 太閤ヶ平」の整備事業に着手するようです。かなりの力の入れようです。
今度は下から天球丸巻石垣を見てみましょう。普通の石垣に巨大な怪獣の卵でも埋まっているような(モスラの卵はこんな風じゃなかったかしらん?)、不思議な感じです。
お恥ずかしながら、天球丸は、天球のようなこの巻石垣があるため、そう言う名称が付いたのだと思っていましたが、実際は、池田長吉の姉である、天球院殿の住まわれていたことに由来するそうです。

三階櫓跡  仁風閣

登り石垣

二の丸を西に行き、中仕切門をくぐって下城することにしました。二の丸の西端には、それは見事な登り石垣があります。この石垣を登って行けば、山上ノ丸まで通じているのではないかと錯覚するほどです。多分、二の丸の西を守り封鎖するためにこの登り石垣が造られたのではないかと推測します。
復元された中仕切門を出ますと右手に鳥取県立博物館があります。ここは当時、城代家老の屋敷や、藩主の馬を飼育した上御厩(かみのおうまや)、米蔵などがあった場所です。左手の洋風建築の仁風閣には、館内には鳥取藩と池田家に関する資料などが展示されています。100名城スタンプもここに設置されています。

復元された中仕切門

今日はかなりの距離を歩き、太閤ヶ平 羽柴秀吉本陣から、大平 羽柴秀長陣所、麓の吉川経家墓所。そしてこの鳥取城と登城し、天気も良く充実した1日でした。
これから鳥取駅前のホテルに向かいますが、最後にこの方に挨拶しなければなりません。鳥取城内堀を渡って堀沿いを南東に300m行きますと、鳥取市武道館があります。この道路沿いに吉川経家公の銅像があります。経家公は甲冑姿で、右手には采配をもっていらっしゃいます。
名将の誉れ高かった経家公ですが、やはり兵糧がないのでは戦になりませんでした。経家公の背後には鳥取城のある久松山が聳えています。

鳥取城山下ノ丸全体図

日本100名城スタンプ情報

鳥取城スタンプ


久松公園内の仁風閣の入館券売場窓口に設置してあります。
館内にて保管されていますので、開館時間内でないと押印できません。
仁風閣の開館時間、定休日などはサイトをご覧ください。

登城日:2014.04.19(土)

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