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伊賀國 桜町中将城 (三重県名張市)

(読み):さくらまちちゅうじょうじょう

主郭土塁

滝川一益の娘婿である滝川三郎兵衛(雄利)が、天正6年(1578)に下神戸に丸山城を築きますが、伊賀の土豪衆の攻撃を受けて、伊勢の織田信雄のもとへ逃げ帰ります。(天正伊賀の乱)
天正7年(1579)に、信雄は7千の軍勢で伊賀に攻め込むも敗退。天正9年(1581)には、4万もの軍勢で再度伊賀に侵攻し、副将の滝川三郎兵衛は、比自山砦を攻略後、名張の土豪が立て籠もる柏原城攻略ため、3万5千余の軍勢で攻めるも、容易に落ちずに長期戦となったため、織田信雄の本隊を下小波田に戻し、滝川氏城と、信雄の陣所として、この桜町中将城を築城しました。

お城への行きかた

近畿日本鉄道 大阪線 美旗駅下車。徒歩約30分。
または、近畿日本鉄道 大阪線 桔梗が丘駅下車。駅前より、三重交通 すずらん台ゆきバスに乗車。小波田バス停下車。徒歩約10分。

お城の状況、感想など

この道から登城

滝川氏城に登城後、この桜町中将城に向かいます。この城名は、織田信雄の官位から付けられたものです。滝川氏城と違って未整備でどこから登城したら良いのか分かり辛いお城ですが、私はの写真の場所より入ってみました。
桜町中将城登城口の場所
この山道を登って行きますと、何となく東(右側)に入る道があります。やはりお城ファンが少なからず登城しているのでしょう。虎口らしきところから入ると周囲に土塁がありますので、ここが主郭であることが分かります。杉の木が茂っておりかなり薄暗いです。

主郭西の空堀   主郭虎口

主郭部の周囲には空堀がありますが、北の空堀は、未整備状態で、竹などが倒れて荒れていますが、西の空堀は登って来た山道に面しており、きれいに見ることができます。

主郭土塁上   土塁上から主虎口を見下ろす

主郭の土塁に登ってみます。主郭虎口のすぐ左側の土塁がかなり分厚くなっていますので、ここには櫓台があったと思われ、主郭虎口と南側から侵入してくる敵を迎え撃つことができます。

土塁上から見る主郭   主郭北に付けられた通路

主郭自体はそれほど広くない単郭の城です。軍の駐屯が滝川氏城で、総大将の織田信雄の屋敷としては、充分な規模と縄張だと思います。
「三重の山城ベスト50を歩く」の縄張図を参考に登城しているのですが、この主郭には、縄張図にない北側に虎口があります。これは後世に付けられたもののようで、ここから空堀に下りることができますが、特に北側の空堀は荒れ放題です。

主郭東の空堀   主郭から東に延びる土塁

主郭東側の空堀も荒れてはいますが、思い切って下りてみました、当時はかなりの深さがあったと思われ、空堀の東側にもさらに土塁があります。
この東の空堀の外に主郭に対して東西に平行する土塁と空堀もあります。この空堀は、東側に延びていますが、東側はゆるやかに下りですので、南北を遮断する竪堀の役目を果たしているのではいるのではないかと想像します。(それほどの比高差はないのですが。)
植林と荒れによって少々見づらい桜町中将城ですが、遺構自体は大変良いものがあるので、滝川氏城とセットで見るには大変良いお城だと思います。

登城日:2016.02.26(金)

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