伊庭御殿遺跡は、江戸時代のはじめ、徳川将軍家が江戸と京都を往復する時に利用した休憩所の跡で、発掘調査で見つかった石列や井戸跡、今も残る指図(設計図)などによって、どのような間取りがあったかがわかっています。また設計者は、山城二条城二の丸御殿などを造った小堀遠州(滋賀県長浜市出身)であることもわかっています。
このように伊庭御殿遺跡は、建物の構造や設計者がわかる、たいへん貴重な遺跡です。
現在は愛宕神社の御旅所として、また住民のゲートボール場として活用され、石垣だけが当時の姿を今に伝えています。
JR西日本旅客鉄道 東海道本線 能登川駅下車。徒歩約15分。
伊庭御殿は、JR能登川駅より南西約1km。東海道本線の東側になりますので、能登川駅東口より、能登川高校前を通って行くのがよいでしょう。
私は、伊庭城から来ましたので、県道2号線の能登川信号から、東海道本線の踏切を渡ってきました。徒歩で20分もあれば到着できました。
御殿跡入口には、愛宕神社御旅所の石碑と伊庭御殿に関する説明板も設置されていました。この説明板の背後には低いものの石垣が見られます。伊庭御殿の石垣だと思われます。
御殿跡に入りますと、右側に井戸跡があります。あと池なのか、単なる水たまりなのか不明な水源もあります。御殿内は、徳川将軍家の休憩施設として建てられただけあって広いですが、土塁などの明確な遺構はないようです。現在はゲートボール場としても利用されているらしく、ベンチなどもあります。
この後は、気軽に石垣の山城が楽しめる、佐生城に登城します。
登城日:2014.06.01(日)