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近江國 伊庭城 (滋賀県東近江市)

(読み):いばじょう

伊庭城跡に建つ勤節館

この伊庭荘(伊庭、能登川、安楽寺、須田の字)は、元々皇室の御領でしたが、崇徳天皇より、源為義に賜ったことが保元物語に記されています。
後、建久年間(1190年〜1199)に観音寺城主の佐々木行実の四男高実が、伊庭氏を名乗り、この地に城を築き領していました。
元禄11年(1697)、旗本の三枝氏が領主となり、この伊庭城跡に陣屋を構えていました。明治になると陣屋は廃され伊庭小学校が建ちますが、昭和23年(1948)には、小学校跡に勤節館が建てられ現在に至ります。

お城への行きかた

JR西日本旅客鉄道 東海道本線 能登川駅下車。徒歩約30分。


お城の状況、感想など

大浜神社仁王堂   仁王堂内

JR能登川駅より約2kmの伊庭地区内に伊庭城跡があります。能登川駅より歩いて登城しましたが、伊庭城跡の300mほど手前に大浜神社があります。この神社の仁王堂が茅葺屋根でとても重厚な造りとなっており目を引きました。
少し大浜神社に寄りました。案内板によると、この大浜神社は、歴代の伊庭城主が庇護し、社運は隆盛したと言われています。仁王堂は、滋賀県指定有形文化財に指定され、現在も祭礼などに使用されているようです。

堀跡  

大浜神社から伊庭城に向かいます。この伊庭城(江戸時代には、伊庭陣屋)周囲には現在も堀跡が残っています。堀に面した石垣も当時の陣屋の以降で、堀跡には大きなコイが優雅に泳いでいます。

伊庭城址石垣の碑  

地図で見ますと、伊庭城跡の北西から南側に掛けて大同川、須田川が流れています。現在では埋め立てなど行われて、陸地が増えていますが、伊庭城のあった室町から江戸時代に掛けては、城のすぐそばまで川(ないし琵琶湖)が迫っていたと思われます。水城と言うほどではないにしても、積極的に水を防御とした城であったと思われます。

陣屋橋  

堀跡の北側には陣屋橋が架かっています。これが大手になるようで、この陣屋橋を渡りますと、御殿のような勤節館が建っています。
この勤節館が、伊庭城の本丸跡と思われます。現在は遺構は無いようですが、勤節館屋根の上の鯱が金色に輝いていました。
次は、能登川駅に帰りがてら、徳川家光が休憩所として築いた、伊庭御殿に登城します。

登城日:2014.06.01(日)

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