伊賀國トップページ

伊賀國 吉田氏城 (三重県伊賀市)

(読み):よしだしじょう

主郭北西の館跡虎口

吉田氏城の城主である吉田氏に関する詳しいことは不明で、「蓮池郷土史」にのみ、「百地丹波城の百地丹波、高山の高山将監ともども、この地の有力国人で、京の吉田禰宜の出身である。」と伝えています。

お城への行きかた

伊賀鉄道 上野市駅下車。駅前の上野市バス停から、三重交通バス 高山ゆきバス乗車。蓮池バス停下車。徒歩約8分で登城口の木代神社。木代神社から主郭まで徒歩約5分。


お城の状況、感想など

登城口の木代神社

蓮池バス停で下車して、蓮生寺脇を南下し、登城口の木代神社まで徒歩で10分掛かりません。この木代神社社殿の左から山に取り付きます。
城郭大系に記載されていた吉田氏城の縄張図を持参して登城しましたが、切岸っぽい場所を直登したとたん迷ってしまいました。木代神社のすぐ北西部が主郭のはずなのですが、目の前には自然地形の谷があるのみです。
この後、百地丹波城などにも登城しますので、それほど時間もありません。あせりを抑え冷静に周囲を見渡すと、空堀が目に入りました。

天守台跡   藪となっている主郭

空堀と土塁はセットなので、空堀から切岸を直登すると、かなりの幅のある土塁上に登れました。縄張図とにらめっこして確認してみますと、ここは主郭の土塁のようです。ここでやっと遺構の配置が理解することができました。
この主郭土塁ですが、端が分厚く、縄張図には天守台と書かれています。吉田氏城築城時に天守があったとは考えにくいので、まず櫓台だと思われます。この櫓台から左回りに土塁上を行くと、スロープのように主郭に下りてくることができます。主郭は荒れ放題で、立ち入ることがはばかられるほど籔化しています。

館跡の曲輪と土塁   館跡の土塁上

水源地

主郭の北東下には、2郭とも言える館跡があります。この館跡は方形で東と西の2ヶ所に虎口があり、特に西虎口が見ごたえがあります。西虎口から北に半周土塁がめぐり、東虎口に至ります。東虎口の土塁はそれほどの高さはありません。南は主郭の切岸になっています。
主郭と比べると館跡の曲輪内は、それほど荒れておらず、土塁上を歩いてみたりして方形の館跡を楽しむことができました。
館跡より西に行きます。北端の土塁上を歩いていますが、土塁の切岸部が垂直落下でゆうに高さ10メートルはあろうかと思われます。また縄張図によると段曲輪が続いているようですが、曲輪内は、低木と倒竹、倒木によって歩くのも困難です。
少し行くと水溜りのようなものがありました。低木をかき分け近づいてみますと、井戸ではありません。城郭大系にも水源地が書かれていますが、はたしてこのことでしょうか?

カーブしている空堀と土塁   カーブしている空堀と土塁(矢印付き)

木代神社社殿横の堀切??

とにかく未整備で低木と倒木に阻まれ、これ以上の行軍は無理と判断して戻ることにします。主郭天守台下の空堀まで戻ってきましたが、この空堀は、天守台土塁のカーブに合わせて空堀もカーブを描いています。
木代神社に戻りました。この吉田氏城は、単一方形形式の多い伊賀の城館と比べると連郭式の技巧派のお城ですが、未整備状況が災いして大変遺構の確認が難しいのが残念です。
これから百地丹波城に向かいますが、木代神社社殿のすぐ横に、北側に下りる石段があります。この石段手前の空間がどう見ても堀切のようでびっくりしました。この木代神社も吉田氏城の曲輪の1つだった可能性があります。

登城日:2015.09.27(日)

inserted by FC2 system