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下野國 小山城 (栃木県小山市)

(読み):おやまじょう

小山城本丸跡の城山公園碑

小山城は、平安末期から鎌倉初期ごろに小山政光によって築かれたといわれています。この小山城の西に位置する、鷲城ともども、小山氏の本拠として機能していました。
しかし康暦2年(北朝)、天授6年(南朝)(1380)に小山義政が、宇都宮氏との領地争いが発端で、宇都宮基綱を殺害したことにより、鎌倉公方の足利氏満が義政追討令を出します。この「小山義政の乱」と呼ばれる戦いは3度に及びましたが、結局、小山義政は追討され小山氏嫡流は滅亡します。
のち、同族の結城氏から養子を迎えて小山氏は再興しますが、天正3年(1575)小山城は、相模小田原城の北条氏照によって落城、北条氏滅亡の後は、慶長12年(1602)頃、本多正純が相模国玉縄城より入封しますが、正純は元和5年(1619)に宇都宮へ移封となり、小山城は廃城となりました。

お城への行きかた

JR東日本旅客鉄道 東北本線、東北新幹線 小山駅下車。徒歩約10分。


お城の状況、感想など

朱塗りの祇園橋が架かる空堀と土塁

JR小山駅より西へ10分ほど歩くと思川があります。その川の手前の「城山公園」が小山城跡になります。
地元では、「祇園城」と呼ばれているようで、説明板なども祇園城で統一されています。城山公園の入口に縄張り図付きの案内板があります。縄張り図を見てみると城は大きく3つの郭に分かれているようです。
さっそく入城してみることにします。

空堀の下から見上げる  馬出しの空堀

入城してすぐ(縄張り図によると“本丸跡”)に「城山公園」の石碑があり、公園として整備されているので「こんなもんですか?」と思いましたが、この本丸跡と北の郭(二の丸か?)との間には空堀があり、現在は朱塗りの“祇園橋”が架かっています。このお城は、奥へ行くほど遺構が楽しめます。
祇園橋を渡ると二の丸になり、馬出しがあります。この馬出しの空堀もみごとです。ただ馬出しと言う割には少々西(思川寄り)に寄りすぎで、本丸を守るには不適切な場所ですが??

二の丸の大銀杏  二の丸と三の丸間の空堀
土塁

馬出しの先には高さ15mにもなる大銀杏の古木があります。この大銀杏、小山城落城の折、この城の姫が井戸に身を投げた際、目印にさした銀杏の木が大きくなったと言い伝えられています。
その先にまた空堀があり三の丸になります。また小山家の墓所がある「天翁院」にも行ってみたかったのですが、今回は時間の都合で断念。また再訪したいお城です。


小山城縄張図

登城日:2009.03.04(水)

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