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讃岐國 昼寝城 (香川県さぬき市)

(読み):ひるねじょう

昼寝城西曲輪

昼寝城は、嘉吉年間(1441〜1444)に寒川氏によって築かれたといわれています。この昼寝城は、難攻不落の山城で、「攻められても、昼寝していても大丈夫。」という事柄から、この名が付いたといわれています。
雨滝城の安富盛方とは、たびたび領地争いをしますが、天文9年(1540)には、寒川元政が池内城を失って、この昼寝城に籠城した際、安富盛方から兵糧攻めにあったものの落城せず、安富氏は雨滝城に退きました。
その後、三好長治にも、昼寝城は2度攻撃を受けましたが、いずれも落城することはありませんでした。

お城への行きかた

JR四国旅客鉄道 高徳線 志度駅ならび、高松琴平電気鉄道(ことでん)志度線 志度駅下車。 駅前バス停より、さぬき市コミュニティバス 志度−多和線乗車。 大多和バス停下車。登城口まで徒歩約25分。登城口から主郭までさらに徒歩約20分。


お城の状況、感想など

ひるね

まず「籠城すれば昼寝していても大丈夫!」と言うことから「昼寝城」。なんとすばらしい城名でしょうか!!これだけで登城したくなりました。
かなり山奥のようですが、調べてみた所、さぬき市のコミュニティバスが1日4往復あることが分りました。(これまた難攻不落ですが、バスがあるだけありがたい。)帰りのことを考えて、JR志度駅10:56発のバスに乗ると、大多和バス停で、約2時間弱の時間があります。これに乗って昼寝城を登城することにしました。

大多和地区の案内板

大多和バス停で下車すると、バス停のすぐそばに左方向に下りて多和の集落に向かう道があります。まず多和地区の正一多和神社を目標にするとよいでしょう。
多和神社近くには、写真の案内板があります。この案内板から、舗装された山道を川に沿って約1kmほど南下します。下の地図の場所が登城口となりますが、この登城口には昼寝城の案内板が設置されています。この案内板の右側から昼寝山に入って行きます。
昼寝城登城口の場所

昼寝城登城口

登城を開始しますが、道は狭く、足元も石がゴロゴロしており、けっこうハードな山道です。それでも15〜20分もあれば頂上に着けます。登城道は、西曲輪と東曲輪を結ぶ馬場跡に繋がっています。
まず、西曲輪から行ってみることにします。この西曲輪には「寒川社」と言う小さい祠が建っています。この祠の前には、ユーモラスなイラスト入りの「ひるね」と書かれた看板が建っています。この曲輪は狭くてあまり兵力を駐屯できるとは思えません。今は木々も茂り見通しも悪いです。
馬場を通って、向かいの東曲輪に行ってみます。

東曲輪と西曲輪を繋ぐ馬場

西曲輪と東曲輪を繋ぐ馬場は、一騎駆けのような直線通路ですが、狭いので曲輪として機能はないと思われます。東曲輪は西曲輪と比べるとかなり広いです。この東曲輪には土塁も見られ、曲輪らしい造りとなっており、こちらが主郭になると思われます。
東曲輪からさらに尾根筋を行きますと、小さいながらも堀切が確認できました。それから、周囲が石組の穴がありました。今は土で埋まってはいますが、これは井戸跡ではないかと思います。湧き水と言うより溜め水用の井戸かも知れません。ぐるりと回ってまた馬場に戻ってきました。

東曲輪   東曲輪土塁

井戸跡??

こうして城内を一回りして見ると、山奥で比高は高く、要害に築城された城で、寒川氏も、詰めの城として使用した、文字通りの“最後の砦”だったようです。
ただ今となっては、縄張や遺構もはっきりしていないのが残念ですが、6月下旬の暑い中、登城して良かったと思える、ある意味“面白い”お城でした。
しばらく馬場を行ったり来たりしましたが、帰りのバスの時間もありますので、急いで下城することにしました。(乗り遅れるとまさに“難攻不落”ぶりを味わうことになります。)


堀切

登城日:2010.06.24(木)

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