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美濃國 山口城 (岐阜県本巣市)

(読み):やまぐちじょう

山口城主郭

山口城の築城年代や歴代城主については、不明な点が多くはっきりしませんが、江戸時代初期に書かれた「美濃国諸旧記」には、鎌倉時代初期(1192〜)には、梶原景時が城主であったと記されています。
戦国武将で、茶人でもあった古田織部(重然)は、この山口城で生まれたとされていますが物証は無く、詳しいことは分かっていません。

お城への行きかた

樽見鉄道 織部駅下車。登城口の本巣市文殊の森公園まで徒歩約35分。山口城主郭までさらに約45分。


お城の状況、感想など

舗装道路から山道への分岐

樽見鉄道利用であれば織部駅で下車します。織部駅の名は、古田織部から来ており、ここは古田織部生誕地とされています。駅のすぐそばには、道の駅織部の里もとすがあり、古田織部関する展示がある織部展示館も併設されています。
私は、文殊陣屋から、直接、文殊の森公園に向かいましたので、織部駅には行ってませんが、この駅のすぐ脇に山口城主居館跡もありますので、帰りは織部駅に戻ってくることにしました。

山口城址碑   中の城にある16号墳石室

文殊陣屋から、文殊の森公園の管理棟ふれあい館まで30分少しで到着しました。公園駐車場の場所に山口城および諸城の案内板が設置されています。この案内板の「文殊の森鳥眼図」を見ますと、山口城、法林寺城祐向山城の他に、祐向山城から、尾根を少し下がった場所に掛洞城と言うお城も掲載されています。
山口城、法林寺城、祐向山城については、山城のバイブルとも言うべき、サンライズ出版の「岐阜の山城ベスト50を歩く」にも掲載され、今回の登城の参考にもしておりますが、掛洞城については1行しか触れておらず、また縄張図も掲載されていませんので、行くのは難しいだろうと判断していましたが、この鳥眼図にはしっかりと縄張の様子なども書かれています。もし行くことが出来るようであれば、掛洞城にもアタックしてみたいと思います。

中の城   中の城からの眺望

前置きが長くなりました、さっそく山口城から攻城してみます。管理棟のふれあい館から、四季の展望台までは、舗装林道を登って行きます。その先は林道を別れまして、山道を中の城へ向かいます。山道に入って間なしに山口城址の石碑がありましたが、まだここは山口城内ではありません。ちょっと勘違いしそうな場所にある石碑です。
中の城は、山口城の出丸とも言える曲輪で、南に腰曲輪が2段あり、主曲輪には古田織部の座像の付いた展望台があります。虎口付近にある石は石垣ではなく、16号古墳の石室のようです。この文殊の森は古墳の多い場所でもあります。

主郭   主郭虎口

中の城から山口城に向かいます。一旦下りになり、さらに5分ほど登りますと、権現山頂上に位置する山口城主郭に到着です。主郭には、山口城の鳥眼図並び縄張図付きの説明板も設置されています。眺めはバツグンで、ベンチも設置されて一休みも出来ます。
登ってきた道は正式な登城路ではなく、主郭虎口は別の所にありました。主郭周囲には帯曲輪もありますが、標高の高さに割には簡素な縄張であると思いました。

山口城鳥眼図   主郭帯曲輪

帯曲輪もしっかりと確認して、次は法林寺城に向かいます。山口城からは尾根伝いに約15分ほどで到着できます。

文殊の森公園鳥眼図

織部駅から見る山口城主居館跡   山口城主館跡碑

追記:山口城主居館跡 樽見鉄道 織部駅下車すぐ。
さて、山口城から法林寺城祐向山城掛洞城とめぐって、樽見鉄道の織部駅に着きました。織部駅ホームから、線路を挟んで山口城主居館跡があります。居館跡自体は、藪で覆われており、またフェンスが張られているため立ち入ることはできませんが、石碑が建てられています。
また織部駅には、山口城主居館跡の想像図付きの説明板が設置されています。城主自体は定かではないのですが、戦国武将で茶人として有名な古田織部がこの山口城にて生まれたとの説がありますが、この居館に住んだと言う物証は無いようです。

山口城主居館跡想像図

登城日:2017.03.25(土)

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