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伊賀國 上野城 (三重県伊賀市)

財団法人 日本城郭協会選定 「日本100名城 bS7」

(読み):うえのじょう

上野城模擬天守

もともとこの地には、平安時代からある平楽寺や、室町時代の伊賀守護職、仁木氏の守護所がありましたが、守護としての権威が没落すると、伊賀の国人によって二木氏は追放されました。。
天正9年(1581)の第二次天正伊賀の乱の後、平楽寺跡に織田信雄の重臣である滝川雄利が城を築き伊賀の統治をしました。その後、天正13年(1585)には、羽柴秀吉の命により、伊賀に移封した筒井定次が、この城を改修し(筒井上野城)、江戸時代になると、伊勢、伊賀で22万石の領主となった藤堂高虎によって、慶長16年(1611)上野城を再改修の上、拡張しました。5層の壮大な天守を建てる計画でしたが、建設中の慶長17年(1612)9月に当地を襲った大暴風で倒壊し、後、天守が再建されることはありませんでした。

お城への行きかた

伊賀鉄道 上野市駅下車。徒歩約5分。


お城の状況、感想など

白鳳門

伊賀鉄道の上野市駅で下車。改札は南側にありますので、駅横の地下道を通って北側に出ます。出たところが国道25号線になりますので、少し西に行きますと、白鳳門があります。ここから上野城に登城します。
白鳳門をくぐって北に行きますと、史跡 上野城跡の石碑があり、その先を左手に行きますと、上野城天守に。右手に行きますと、筒井氏時代に築かれた筒井天守(筒井古城)行くことができますので、まず筒井古城に行くことにしました。

城代役所への枡形   枡形

筒井天守趾

筒井古城は、石垣の枡形を通りますが、この枡形は藤堂氏時代の物だと思われ、筒井古城本丸跡も藤堂氏の改修によって城代役所曲輪となっています。ここから上野城天守を眺めることもできます。
城代役所曲輪の端に少し小高い部分があり、この上に筒井天守趾の石碑が立てられています。筒井氏時代の天守は3層であったと言われています。

城代役所跡から天守を見る   本丸の高石垣

小天守内の忍び井戸

筒井古城(城代役所)からは、上野城の模擬天守が見えます。では本丸へ向かうことにします。上野城本丸には、現在は昭和10年(1935)に地元の名士によって建てられたもので、3層の大天守と2層の小天守が建っています。藤堂氏時代に5層の天守を建てる予定でしたが、建設中に暴風(台風か?)により倒壊。以後再建はされなかったようです。
小天守内には井戸があり、石組みで深さは約90mもあり、現在も水を湛えています。小天守内に井戸があるのは心強い限りです。

秀吉より拝領の唐冠形兜   天守から伊賀市の街並みを見る

大天守内に入りますと1Fには、おなじみの武具や甲冑などが展示されています。とくに豊臣秀吉から拝領の唐冠形兜は有名で、藤堂高虎と言えばこの兜を思い浮かべます。(伊勢津城の藤堂高虎公騎馬像は、この兜をかぶっています。)
さて伊賀上野と言えば俳人として奥の細道を記した松尾芭蕉の誕生地としても知られています。上野城天守の北には、芭蕉生誕300周年を記念して、昭和17年(1942)に建てられた俳聖殿があり、そのそばには忍術屋敷もあります。(さすがは伊賀忍者の地)その付近を散策して、最後に内堀外から、上野城の高石垣を見学して駅に戻りました。

俳聖殿   高石垣を内堀越しに見る

日本100名城スタンプ情報

上野城スタンプ


100名城スタンプは、伊賀上野城天守内に設置してあります。
天守内にて保管されていますので、開館時間内でないと押印できません。伊賀上野城の開館時間、定休日などはサイトをご覧ください。

登城日:2012.07.19(木)

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