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伊賀國 阿保城 (三重県伊賀市)

(読み):あおじょう

土塁上から見た阿保城主郭

阿保城は、室町時代に安保氏によって築城されたと思われます。安保氏は、伊勢国司北畠氏の重臣として、多気御所に仕えてたと「北畠家臣録」に記載されています。
天正13年(1585)大和郡山城主であった筒井定次が、豊臣秀吉の命により、伊賀に国替えを命じられると、この阿保城には重臣の岸田伯耆に3千石を与え、城主に据えました。
その後、江戸時代となった慶長13年(1608)徳川家康によって突如、筒井定次が改易されると、城主の居なくなった阿保城も廃城になりました。

お城への行きかた

近畿日本鉄道 大阪線 青山町駅下車。徒歩約15分。

お城の状況、感想など

北虎口

近鉄青山町の南西、徒歩約15分の場所に阿保城があります。登城口は阿保城の北にある道路(ほとんど路地)から登ることができます。城域は比高が低いものの1つの山となっています。
お城の北の路地から登ると出丸跡に着きます。出丸跡から虎口を入ると主郭となっており、周囲に土塁が巡っています。また主郭には「阿保頓宮跡」の石碑があります。ここは、聖武天皇が伊勢に行幸の際の宿所として造営されたのを、室町時代になって、安保氏がお城として利用したようです。

土塁上の社

土塁の北西には社が建っています。今は木々が茂っていて見通しは悪い(出丸跡からの眺望は良い。)ですが、結構なスペースがありますので、櫓台があったのやも知れません。初瀬街道も監視することもできますので、街道を押さえる城地としては適所だと思います。
また南にも虎口があり、ここから出て東に向かうと、二の曲輪跡となりますが、現在は竹薮となっており荒れています。小振りなお城ではありますが、中世の城館の雰囲気が感じられるお城だと思いました。

土塁  出丸

登城日:2010.02.13(土)

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