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筑前國 福岡城 (福岡市中央区)

財団法人 日本城郭協会選定 「日本100名城 bW5」

(読み):ふくおかじょう

下之橋と伝潮見櫓

慶長5年(1600)黒田長政は関ヶ原の戦いの功績により豊前中津城16万石から、筑前52万3千石を賜り名島城に入封しますが城下町の建設には狭すぎるため、翌、慶長6年(1601)より、福崎丘陵に新城を築城し、慶長12年(1607)に完成しました。
築城の際、当初の地名であった福崎を黒田家ゆかりの地である備前国邑久郡福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ福岡と改め、城も福岡城と命名されました。

お城への行きかた

JR九州旅客鉄道 鹿児島本線 博多駅にて下車して、福岡市地下鉄 空港線乗換え、大濠公園駅下車。徒歩約10分。


お城の状況、感想など

潮見櫓と下之橋御門

JR博多駅から、地下鉄空港線に乗り換えまして、大濠公園で下車します。駅から少し戻る(東)と舞鶴公園入口にに着きます。ここからは、堀越しに下之橋御門と潮見櫓が見え、52万石に違わない城郭の雰囲気が感じられます。
下之橋御門ですが、福岡城の大手門とも言え、現存していた貴重な門でしたが、平成12年(2000)に不審火によって焼失したため、平成20年(2008)に二層楼門として復元されています。 下之御門前に建つと上部より潮見櫓によって睨まれているようです。

母里太兵衛長屋門  名島門

福岡城内は、舞鶴公園として整備されており、陸上競技場などスポーツ施設も城内にあり、西鉄ライオンズの本拠地であった平和台球場もこの公園内にありました。(現在は取り壊されています。)
城内を行きますと、母里太兵衛長屋門があります。黒田節で有名な母里太兵衛は、宴席での福島正則との飲み比べで勝ち、正則から名槍「日本号」を授かっています。
母里太兵衛長屋門から少し散策路を逸れて、大濠公園方面に西に向かう道に名島城から移築したと伝わる名島門があります。(上の地図を拡大して、舞鶴公園出入口15付近)この名島門は、この場所にあった訳ではなく、名島城からこの福岡城に移る際、黒田二十四騎の一人、林掃部に下げ渡され、邸宅の門として使用されていました。

扇坂御門枡形 

二の丸から見る本丸表御門

本丸方面に向かいます。福岡城内である、舞鶴公園は先に述べた通り、かなりの施設が建てられていますが、お城の主要な部分の石垣などは残っています。それほど大規模な城域だったことが伺えます。
扇坂御門跡を入ると二の丸で、ここには二の丸御殿などが建てられていたようですが、それほどの広さはありません。目の前に本丸石垣がど〜んと立ちはだかり、本丸表御門から本丸内に入ります。

祈念櫓  本丸井戸

鉄御門

本丸表御門を入ると祈念櫓があります。この祈念櫓は、福岡城の北東に位置し、鬼門封じとして建てられていましたが、大正時代に北九州市八幡東区にある大正寺に移築され、昭和59年(1984)に福岡城に再移築されましたが、お寺に移築された際、かなりの改築がされています。確かに目の前の祈念櫓は櫓っぽさがなく、単なる2階建ての家屋に見えます。
本丸の南には天守台があります。福岡城の天守は、幕府に遠慮して建てられなかったと言うのが一般的になっていますが、細川忠興の書状に「黒田長政が幕府に遠慮し、天守を取り壊した。」と言うような文が見られ、築城当初は5層の大天守ならび、中天守、小天守が建てられたものの、やはり外様と言うこともあり、藩主の黒田長政によって天守は解体されたのでは?と言う説も出ています。

天守台内部  天守台

裏御門

しかしこの天守台はかなりの規模で、現在は階段が付けられており、それに登ると天守台からの眺めもかなり良いです。これに5層の天守が建てられていますとかなりの眺望になるはずです。
この後、多聞櫓から裏御門をまわってから、100名城スタンプを押しに、福岡城三の丸跡のある、鴻臚館跡に行きました。鴻臚館とは、福岡城が築城されるよりずーっと以前の平安時代に建てられた、大陸との外交および海外交易の施設です。現在は、鴻臚館跡展示館が建てられ、鴻臚館についての資料や、発掘された鴻臚館跡を見学することができます。

多聞櫓 

日本100名城スタンプ情報

福岡城スタンプ


福岡城内(舞鶴公園)の鴻臚館跡展示館ならび、福岡城むかし探訪館に設置してあります。
両館内にて保管されていますので、開館時間内でないと押印できません。
両館の開館時間、定休日などはサイトをご覧ください。

登城日:2011.10.22(土)

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